正面に見える本堂と右には稲荷堂があります
祈りの届く
特別な場所
寺町 法華寺の歴史
戦国時代
法華寺の創建は天正3(1575)年と伝わっています。
ちょうど戦国乱世の時代、織田信長公が長篠の合戦で勝利をおさめ、長曾我部元親公が土佐を平定した年に当たります。
法華寺の創建は、現在地とは違い今治市玉川町の庄屋 八木氏の屈請を受け玉川町大野三反地に建立されました。
時代は戦国より江戸時代に入り、今治藩は藤堂高虎公の転付により久松定房公が新たに今治3万石の藩主となり転封、その時定房公の要請を受け現在の今治市内に移転建立されました。法華寺が玉川町より今治に移転する時、藩主より寺領3反を拝領したことから法華寺があった場所に三反地という地名が残りました。
江戸時代
当初は今治港のほど近くにある新町という場所に建立されましたが、江戸中期元禄年間に火災にあ全山焼失しましたが、3代藩主定陳公がこれを惜しみ、新たに寺町に浄地を賜り現在地に移転し現在にいたっています。
江戸時代中期以降
法華寺は3代藩主定陳公の長女の位牌をお預かりし、当主お立ち寄り寺院となり、今治藩内では高い格式を誇っていました。
江戸時代も明治に近くなるころ法華寺21世のお上人が御祈祷により今治近在の方々をご祈祷で救い、その名声は京都の宮中まで届き蔵人所本光院の宮さまより「葵の紋」の使用を許され、法華寺の寺紋となっている。
明治以降
明治以降も、名説教師(法華経の教えを説く僧侶)や大験者(ご祈祷の力が絶大な僧侶)を輩出し、400年以上の歴史を積み重ねています。
寺町 法華寺ご本尊
未だ散ぜず 釈尊説法の座
寺町 法華寺の31代目の住職を務めています
圓心院日見 讃岐 英昌と申します。
平成4年立正大学入学・日蓮宗宗立学寮入寮
現身延山大学学長 浜島典彦先生の元、熊谷学寮で2年間、そして、現日蓮宗管長 池上本門寺貫主、鬼のいやいや、仏の菅野日彰猊下の元、谷中学寮で2年間、日蓮宗僧侶としての基礎と精神を学び修業を積みました。
平成6年 日蓮宗信行道場終了 僧侶となる
平成8年 立正大学仏教学部宗学科卒業
平成8年 日蓮宗布教研修所終了
平成9年 日蓮宗霊断師養成講座終了
平成10年 日蓮宗大荒行遠壽院行堂100日成満
平成22年 愛媛県布教師会会長就任
平成24年 全国布教師会連合会常任理事就任
平成27年 一乗山 寺町 法華寺住職法灯継承
現在に至る
心に寄りそう僧侶、祈りの届くお寺を目指して日々精進しております。
何でもご相談ください、貴方の心配事を解決できる方法を共に探していきましょう。
朝の
お勤めのお経
開 経 偈
妙法蓮華経方便品第二
妙法蓮華
如来壽量品第十六
祈願の意味
家内安全 家族が元気に仲睦まじくありますように
身体健全 自分の体が元気でありますように
大願成就 大きな願いが叶いますように
心願成就 心の内でいつも願う、願いが叶いますように
子宝成就 子宝に恵まれますように
発育増進 子供の発育が順調に進みますように
学徳成就 勉強がよくできますように
除災得幸 災いを除き、幸福が授かりますように
闘病平癒 病が早く癒えますように
家門永昌 家が栄え、子孫が永く続きますように
営業繁栄 千客万来で社運が上がりますように
所願成就 もろもろの願いが叶いますように
新型コロナ退散 新型コロナウイルスが早期に終息するように