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![法華寺3[1].JPG](https://static.wixstatic.com/media/b4237c_c40c4e1b653041069baee365fe32ac18~mv2.jpg/v1/fill/w_983,h_548,al_c,q_85,usm_0.66_1.00_0.01,enc_avif,quality_auto/%E6%B3%95%E8%8F%AF%E5%AF%BA%EF%BC%93%5B1%5D_JPG.jpg)
正面に見える本堂と右には稲荷堂があります
アンカー 1
歴史
祈りの届く
特別な場所
寺町 法華寺の歴史
戦国時代
法華寺の創建は天正3(1575)年と伝わっています。
ちょうど戦国乱世の時代、織田信長公が長篠の合戦で勝利をおさめ、長曾我部元親公が土佐を平定した年に当たります。
法華寺の創建は、現在地とは違い今治市玉川町の庄屋 八木氏の屈請を受け玉川町大野三反地に建立されました。
時代は戦国より江戸時代に入り、今治藩は藤堂高虎公の転付により久松定房公が新たに今治3万石の藩主となり転封、その時定房公の要請を受け現在の今治市内に移転建立されました。法華寺が玉川町より今治に移転する時、藩主より寺領3反を拝領したことから法華寺があった場所に三反地という地名が残りました。
江戸時代
当初は今治港のほど近くにある新町という場所に建立されましたが、江戸中期元禄年間に火災にあ全山焼失しましたが、3代藩主定陳公がこれを惜しみ、新たに寺町に浄地を賜り現在地に移転し現在にいたっています。
江戸時代中期以降
法華寺は3代藩主定陳公の長女の位牌をお預かりし、当主お立ち寄り寺院となり、今治藩内では高い格式を誇っていました。
江戸時代も明治に近くなるころ法華寺21世のお上人が御祈祷により今治近在の方々をご祈祷で救い、その名声は京都の宮中まで届き蔵人所本光院の宮さまより「葵の紋」の使用を許され、法華寺の寺紋となっている。
明治以降
明治以降も、名説教師(法華経の教えを説く僧侶)や大験者(ご祈祷の力が絶大な僧侶)を輩出し、400年以上の歴史を積み重ねています。
寺町 法華寺ご本尊
未だ散ぜず 釈尊説法の座
御本尊