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得ざらんと欲せば まず与よ              (えざらんとほっせば まずあたえよ)

更新日:2020年5月3日

パチンコ屋さんの話題が大きく取り上げられる昨今、問題の争点は3密にあります。

3密に必ずなる構造をしているパチンコ店が開店しているのは、新型コロナウイルスを感染させるリスクが高いというのに、来店者の危機意識は低い傾向にあることが問題のようだ。


朝日新聞(一部抜粋)の記事にはhttps://mainichi.jp/articles/20200430/k00/00m/040/095000c

店名公表により営業していることを知った客も多いとみられ、福岡市のガソリンスタンド店勤務の男性(35)は「友人からこの店が開いていると聞いて、不安もあるが時間があるので来た」。同市の建設業男性(40)は「新型コロナに感染しても自分のせい。一人暮らしだし気にしない。スーパーやコンビニに行くのと同じだ」と話した。一方、通りかかった近くの60代女性は長い列を見て「もう少し危機意識を持ってほしい」と顔をしかめた。


とあり、感染抑止を至上命題とする現在にあっては眉ひそめる方多いと思。


この問題のでは、仏教的に見てどこに問題があるのか。それは大きなリスクがあるにも関わらず店を開けている、つまり自分の欲望のために他をかえり見ない姿勢にこそ問題があると考える。

短期で見れば他の店が休業しているなら、客を多くとることができるが、長期的に見ればどうか。新型コロナが終息したのち、この開店していた店に客が来るか、おそらく客足は遠のくだろう。


語弊を恐れず言うならば、「あそこの店は、新型コロナのとき店を開けていた。あぶない店だ」と、認識されるかもしれない。特にスッタ人は余計にその思いを強くするだろう。その話が人々の間に広まれば、店側ではどうすることもできなくなり、客足は遠のくと考える。


これは、パチッコ屋さんに限った話しではない、我々の話しなのです。今回の表題は「得ざらんと欲せば まず与えよ」は、「ほしいと欲するなら、自分ぶんを相手あたえなさい」と、いういみになる。この非常事態宣言下にある現在、まずお客さんや周りの人に安心・安全を与えることが何より大切になる。目先のことだけにとらわれては、先の未来に大きな禍根をのこすことになる。


自分自身が何を欲(ほッ)しているのかを見極め、他者に何を与(あた)えることができるのかを考え行動することがなにより大切になる。与えるものを見誤れば取り返しのつかない事態になる。


「得ざらんと欲せば まず与えよ」







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