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もともとの店でもらうレジ袋の意味

今治ではレジ袋のことをビーニー袋と言うことが多かったが、今はレジ袋・ビニール袋の併用かレジ袋と言うことが多くなった。


レジ袋の起源は梨狩りのときに梨を入れる袋とされている。丈夫で耐水性があることから、レジ袋として普及したと言われている。


店舗での導入に関して大きな理由があった。


それは、〈 万引きの防止 〉であった。買った商品と購入前の商品を見分けることを目的の1つとしていた。


レジ袋を使っても万引きは完全になくなることは無く、閉店に追い込まれる店も多くある。


そして現在、新型コロナウイルスの影響で、人々の心はすり減り経済もままならない中で、レジ袋有料化が始まった。

私は当初より万引きの多発を懸念していたが、あにはからんや、連日ニュースでエコバック万引きが取り上げられている。


万引きをする人はそれぞれの理由を抱えていることは理解するが、これは犯罪である。

自分以外の人の生活を脅(おび)かす罪悪である。


店が閉店に追い込まれれば、店の従業員も合わせて路頭に迷うし、近所の足の悪い方も店が閉店すれば、遠方まで買い物に行かなければならなくなる。


自分ひとりだけなら大丈夫と思うと、同じように考がえる人は意外と多い。

10人が毎日 万引きを繰り返せば店は大変なことになる。


昔のヨーロッパの話しにこのような話がある。


山間部の村に長年村人を診察してきたお医者さんがいました。

しかし、歳をとったお医者さんは町に住む子供の所に帰ることなり、村人はこのお医者さんに感謝を込めてワインを送ることにしました。

村は貧しいので1人コップ1杯のワインを樽に入れることが決まったのです。

その話を聞いたお医者さんは、寂(さみ)しく笑って感謝を述(の)べたのです。

お医者さんが村を離れる時、村人の代表からワインの樽が送られ、村人の惜しみない感謝を送られながらお医者さんは寂しい思いを胸に村を離れました。

村から十分離れたところでワインの樽を開いてみるとそこに入っていたのは水のように薄いワインだったのです。

「どんなに感謝の気持ちがあっても、人は自分1人なら大丈夫だろうと考える。自分だけならと考えるのは、その人だけではない。それが解っていたから、私は寂しい気持ちになった。人の浅ましさは自分が思っているより、よっぽど深いのだ」


と、語ったという話を私が中学生のとき物の本で読んだ。


人は自分が思っている以上に「浅ましい」生き物だろう。それは、私も変わらない。

同じ「浅ましさ」を心の中で飼っている。


自分の中の「浅ましさ」を知っているからこそ、食われないように注意を払うことができる。狡猾(こうかつ)な心の獣(けもの)はいつでも隙(すき)を狙っている。

感謝をささげる人でも、大切な人も関係なく傷つける、この心の獣を仏教では三毒(さんどく)と言う。


心が獣にならぬよう 心が毒で汚(けが)れぬよう常に警戒を怠ってはならない。


すぐやられるよ

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