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執筆者の写真英昌 讃岐

自死に思う

日本では、古来より死者のことを「仏」と呼んできた。

これは、どの様な悪い行いをした人であっても死を迎えれば、とりあえず冥福(めいふく)を祈ることが由来ではないだろうか。


しかし、仏教をはじめ他の宗教であっても自死を認めてはいないので、自死した方のその後については、あまり良い言い方はされていない。(あえて言及せず)


しかし、これは自死をしないように、生きている人間に対する戒(いまし)めであろう。


私も自死という選択肢(せんたくし)を認めたくはないし、決してすすめることも絶対しない。生きる道を選択してほしいと強く願うが、自死の選択をしてしまった魂に「なぜ、もっと生きなかったのか」とは、言わないし、言えない。尊重することもできない。


だからこそ冥福を祈る


だからこそ仏様に救われ、「仏」と成ることを祈らずにはいられない。


自死者は成仏できないのか、いや祈りがあれば仏と成れるだろう。


そこに本人の願いは関係ない。すでにこの世を去っているのだから。

 -祈り- は生きている人間の領分(りょうぶん:権限・能力の意味)だ。


残された人間は悲しみを抱えている。何かしなければ、この悲しみを癒(いや)すことはできない。だから祈る。この世を去ってしまった者には、意に添わぬ祈りであっても許してほしい。これも祈りであり、生きている者の我儘(わがまま)であることは十分承知している。


でもあなたのために祈ることを許してほしい。あなたが、これ以上 苦しむことなく穏やかな仏様であるように と






♯自死 ♯自殺 ♯祈り

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